1月2日 温泉津温泉
中国道から日本海に面した浜田市に着いたのは午後3時過ぎ。冬用タイヤの装着規制による渋滞で少し遅れたけどほぼ予定通りだった。駅前から浜田高校へ抜ける広い道がドーンとできていたので驚いた。駅舎も改装というより建て直しの工事中でえらく様変わりしている。
この町は子供の頃から何かにつけよく来た町だった。でっかい漁港があって、近隣では一番賑やかな町だった。小学校へ上がる前祖母と上履き入れを買いに来た。甘い匂いのする(黒檀?伽羅が炊き込めてある?)算盤を買ってもらったのもここだった。G市から20キロ程離れていて、小学校高学年の頃は当時はやったオモチャの”レーシングカー”のコースがスーパーの屋上にあったので自転車で1時間半以上かけてやりにきたものだ。浜田市に入る手前に心臓破りの長~い坂があったな。「神在坂」(かみなりざか)と言うのだが、その激しい急勾配のイメージから「雷坂」だとばかりずっと思い込んでいた。中学、高校になってからはクラブの試合とか映画を見に来た。
映画館はG市にも一軒あったのだが、浜田市のほうが話題の映画の上映が早いし、映画館の数が多いのでG市で見られない映画も色々上映していたのだ。そうそう。ボーリングも最初の頃はこの町に来ないとできなかったのだ。
予約しておいた駅近くのレンタカー屋で車を借りて9号線をG市に向かう。神在坂を越えると下府(しもこう)。此処には「畳ヶ浦」という、海底の岩が地震で隆起してできた海岸の海水浴場があってよく来た。「♪こまっちゃうな」を歌っていた頃の山本リンダがここでグラビア撮影してて、平凡だか明星に乗っていたその水着写真にはお世話になったものだ。この海岸の名前も子供の頃は平らな奇岩が並んでいるので「畳が裏」になった状態を表した名称なのだと思っていた。
久代から波子の間の線路から山側にかけては砂地をいかして二十世紀梨とか葡萄畑などがあったのだが…波子の海水浴場にもよく来た。白くてサラサラの広い砂浜の記憶なのだが、波の荒い真冬というせいだけでなく、ひどく殺風景で狭い砂浜に思えた。
そして敬川。川底が砂地でね。蜆がたくさん獲れたのだよ。味噌汁の実にしたのぢゃ。具のない味噌汁のお椀に映った己の目ン玉二つを蜆だと思え、と言う落語があったな。ジーゼル列車に乗って当時(小学校低学年)から無人駅だった駅を降りて、海水浴気分で来たことがある。
都野津。今回一緒に帰省した友人(中学・高校の同級生)の従弟で、バスや新幹線、レンタカーから旅館の予約まで全てお世話になった農協の観光課の人の家へお礼に寄った。そしてこの新築の家からすぐ近くにあるG高校に寄ってみた。卒業して何度か来た時にはまだあった下の校庭の旧校舎は無くなり、上のグランドに新校舎が建っていた。残っているのは当時奢った造りと言われた桜の木で出来た床の体育館だけだ。
レンタカーに同乗している友人と、校門前のパン屋で帰りに買い食いした事とか駅から一直線の通学路と平行してある「裏の通学路」(遅刻して二時限目から出席する時などに使用、校門を通らず直接下駄箱の裏に出ることが出来る)、駅前の大衆食堂などの話題で盛り上がる。
旧道から和木方面へ向かう道は定期代を使い込んでチャリで学校へくる時通った懐かしい道。同乗している友人が汽車!(SLだったのだよ!)に乗り遅れて遅刻しそうになった時にカアチャンのカブ(50cc)で此処まで来て、この通りの路地裏にカブを隠したとカミングアウトした。後で誰かにチクられて担任に叱られたが、停学などの処分はなかったとか。まだノンビリしてたいい時代。そしていい先生がいた時代だったね。
和木の辺りは中学の時駅伝の練習でよく走った。そして嘉久志。焼き場(火葬場)への入り口。此処は昔、警察の射撃場があって弾を掘りに来た事があった。射撃練習では鉛の弾頭を使うのが普通なのだが、ごくたまに真鍮で覆った上等なやつがでてくるのだ。
警察署があってすぐ、新川まで来ると目を凝らして探すまでもなく「木馬」がすぐ見つかった。ここかぁ。ふむふむ。たしかにすぐ後に星高山がそびえてる。写真などで知ってはいたが大体想像通り。今日は時間がないので、明日帰りに寄るつもり。
市役所の手前を右に入ると通った小学校があり、昔住んでいた陣屋とか本町への近道なのだが最近できたらしい広い道はバイパスの方しか行けないのではと思い入るのを止めた。よく知っている市役所下の歩道橋の所から入ろうと思ったのだが、予想通り右折禁止になっていたので駅前の通りを通って海岸通りから行くことにする。
G市の駅舎は意外にも昔のままだった。変わりようがないのだろうか。槙島さんの水着写真が平凡パンチ”oh”のグラビアページに乗った時、悪友達とワイワイ立ち読みした本屋「文栄堂」も奇跡的というか残っていた。しかし駅前の通りの寂れようは話に聞いていた通りの侘しさだ。橋の袂から海岸通りへ出る曲がり角も小型のレンタカーが「曲がれるんかいな?」と思うほど狭く感じた。

通称「海岸通り」(この時オイラは運転していたのでこの写真は実は翌日3日に撮った写真。露出が拙くて暗いので少し明るくしてみた。)
駅とか駅前の商店街への行き来や中学の時の通学路だった。何度かの水害の後、旧道の上に堤防が造られたのでその上の道は三江線のガードと同じくらいの高さにまでなってしまっている。正面に星高山が見える。昔は左前方に上江川橋があり、その向こうはダム湖のような広い川面が続いていたのだが。


かつて上江川橋があったT字路を右折(現在はは道なりに右へ曲がる)と本町の通り(写真左)。この通りの両側辺りが街並み保存に指定されている地域だ。右の写真は花田病院。小さい頃よくお世話になった。

この後従兄の「キー坊」の所へ久しぶりに顔を出す。キー坊と言ってももう59歳のオヤジなんだけど。玄関で訪(おとな)うと本人のキー坊が出てきた。このブログとか年賀状で近いうちに顔を出すと書いておいたのだがこんなにすぐ来るとは思っていなかったようだ。つもる話は色々あるのだが、根掘り葉掘り訊かなかったのは彼の心遣いなのだろう。彼の姉の美智子ネエとユッコネエに電話してくれて少し話した。美智子ネエは木馬のそのネエの同級生でもあるのだ。今度田舎に来た時はは彼女等の居る出雲にも行こう。
30分も居なかったように思う。慌しい訪問を詫びて、すぐ近くの本家へ行ったが留守だった。後で聞いたのだが叔父さんはかなり前から具合が悪くて済生会(病院)に入院しており夕方はいつも叔母さんが介護に行っているのだとか。お土産をキー坊に預けて今度は観音寺下の叔父の所へ顔を出す。
叔父は昨年初め軽い脳梗塞で倒れリハビリ中なのだが陽気の良いときは近所へ散歩へ行けるようになるほど回復していた。少し顔がまるまるとしてきてオジイサンの顔になっていた。記憶力も確かなのだが、えらく涙もろくなっていた。
オイラの叔父と今回の帰省に同行した友人の叔父とは若いとき同じ会社の同僚だったのだ。友人が今度オイラと一緒に帰省すると田舎の親戚に電話したおり、色々話しているうちに分かったらしい。我々の共通のキーワードである塩田の海水浴場の話をすると、叔父は感極まって目がうるうるし、言葉に詰っていた。叔母は「この頃ぁすぐあのとうになるけぇなぁ」と言っていた。
叔父の家の後、今度は友人の親戚(塩田)に寄った後温泉津へ。温泉街までは来たが旅館の場所をよく確認していなかったので携帯で道を教わりながら約束の七時ギリギリに宿へ着いた。←リンクしたよ。
築80何年の老舗旅館なのだが、後継ぎが居なくて廃業寸前の所を山口大学時代から企業支援とか地域振興の仕事を手がけていた女性が女将(若女将?)として旅館を切り盛りすることになったのだとか。従業員と言うよりスタッフといったほうがよいような若い人達がいっぱい、若女将に賛同して集まっている。

この料理は並というか松竹梅でいうと「梅」ランクなのだろうけど、この宿ではそういうランク付けではなく、食事は自分の好みの外の店でという素泊まりから、食事にこだわらない人、宿で落ち着いておいしい料理をというこだわり派、と言うような分け方をしている。オイラ達はもう大量にガツガツとは食べられない歳になってるのでこのくらいでちょうどよかった。もちろん最後に御飯や味噌汁、お新香がでるし。
正月なので御節だ。この後に小ぶりだが鯛の塩焼きが来た。これが絶品!焼きたての鯛の塩焼きってこんなに美味しいものだったのかと驚いた。京都の七条の市場で買ってきた鯛の塩焼きをレンジで温め直して食べた時にも結構美味いと思ったけど、温泉津の海で獲れた活きの良い鯛にはかなわなかった。
<
翌朝妙に早く目覚めたので若女将に勧められた二軒の外湯に行ってみる。
泉薬湯の正面入り口。

浴室から二階、三階の休憩室へ上がる階段。結構古い建物で風情がある。

共同浴場の屋上からの景色が良いんだと風呂で一緒になったオジサンがいうのでやって来たが…隣接する湯治場の屋根。朝の6時過ぎなのでまだ真っ暗。


踊り場(写真左)と共同浴場の隣にある湯治の施設だったと思われる古い建物。

旅館吉田屋の並びにある元湯の入り口。こちらは元湯だけあってお湯がものすごく熱い。宿で入浴券をもらえるのでタダで入浴できる。作りが古くて懐かしい感じだが浴室の出入り口の階段は高いし、浴室の床はヌルヌルして滑りやすい。真水のお湯が出るようになっていなくて凍るような冷たさの水道の蛇口が洗い場の隅にある石の流しに三つくらい並んでいるだけ。温泉好きにはたまらない状況かも知れないが年取ったら辛いかも。もっとも上がり湯すると温泉効果がなくなるのだとか。

木造三階建て。三階の窓の向こうには抜けるような青空と白い雲が見えたのだが、オイラの腕ではうまく撮れなかった。
ホームページでは築82年になっているが、旅館の説明書きでは97年だったような…どちらにしても古い!歩くと廊下がギシギシいう。夜はさぞかし冷え込むと思ったが窓などの建て付けはしっかりしているし、ホットカーペットにコタツにファンヒーターと暖房は万全なのでホットカーペットだけ点けて、浴衣一枚で寝た。

朝食。
部屋付きの仲居さん。まだ若い。雲南市(出雲の方)の出身だとか。

旅館の営業は週末の金、土、日だけで後は農業をしているのだとか。昨夜はこの仲居さん自ら梅の木に登って獲った梅で作った梅酒を頂いた。まだ若くてさっぱりした味だった。
この温泉街はすぐ隣の大田に世界遺産に指定された大森銀山があるのが観光業としては強みだ。この旅館は古くて重厚な所と新しくて安っぽい所が同居しているのが逆に親しみやすくて良いと思った。高級旅館ではなくて庶民派なのだ。でも食堂に客を集めてブロイラーみたいにエサを食べさせたりはしない。手間を掛けたもてなしが商品。若いスタッフに代替わりしてまだ間もない。梅酒のようにこれからだんだん味が出てくるのだろう。
予定よりかなり早めに宿を出る。宿の居心地は良いのだが何しろ今日もハードスケジュールなのだ。若女将と仲居さんに見送られて駐車場へ歩く。途中ふと振り向くとまだ仲居さんが見送っていた。しばらく歩くと今度は別の仲居さんが走って追いかけてきた。忘れ物だとカメラのレンズ拭きを持ってきてくれたのだ。どうもありがとう。
| 固定リンク



コメント
あ~~ やっと着いた。
待ちくたびれた。
待望の故郷は いろいろな今までの嫌なこと吹き飛ばしてくれたみたいね。
田舎の人たちはほんとみな温かい。
心の片隅にきっと気になっていたてっちゃんが、わざわざ会いに来てくれて、喜ばれたでしょう。よかったね。
今回の旅同様 駆け足の文章も昔のてっちゃんに戻ったみたいで、よかったよ。
自分の選んだ道は正しかったみたいね。
よかった、本当よ・・
投稿: その | 2009.01.11 20:56
おまたせしました
っていうかまだ半分なんだけど。
木馬さんは後半に登場するよ。
田舎はやっぱり良かった。懐かしかった。
ただ、そのさんが本町で撮った写真をいっぱい見せてもらっていたので、実際に町の風景を見てもそれほど感慨が湧かなかった。
車でざっと通り過ぎたせいなんだろうね。
こんどは昔遊んだ路地裏までゆっくり見て回りたいと思ってる。
投稿: てつ | 2009.01.12 10:08
失礼します…
んーっ、ちょっとやっぱり料理がお粗末ですねぇ…値段的にどうでしょうか?
こちらの旅館は、旅館業より、外部から来た女将の宣伝みたいなことが多いと聞いてます。(TVとかに出たり、講演したり)
学生のおままごとだと書かれた方もおられました。
こういう旅館の経営は難しいところですね。
投稿: タニ | 2009.01.12 18:25
タニさん
なかなかシビアなご指摘。
事情に詳しい地元の方なのでしょうか。
旅館やホテルなど、泊まった経験が少ないのと、正月料金と言う事もあって「こんなものだろう」と思っておりましたが…
NPOの様なものなのか…ともかく過疎の島根に若者が増えて
”石見”が活気づいてくれれば良いなと思っていますよ。
投稿: てつ | 2009.01.13 12:57
ひゃあ~、この温泉、たまりませんね。
老舗なのに、どこかフレッシュ。
古い革袋に新しい酒を盛るというやつですね。
「泉薬湯」の正面からの写真、窓の向こうのおばちゃんが好い味出してます。
私は一昨日、ネットカフェのシャワーを浴びてサッパリしました(苦)。
投稿: マフィンマン | 2009.01.14 23:56
あ、北海道からお帰りでしたか。
東京も結構寒いでしょう?
で、なんでネスカフェ、じゃなかったネットカフェなんですか?
ワタクシはまだ行ったことないんだけど興味はあるので、いつか行きたいと思ってます。
投稿: てつ | 2009.01.16 12:38